じゃあどんな愛国ソングならいいのか

RadwimpsHINOMARUという曲が炎上した

確かに歌詞を見ると、「日本人」であるという血統を誇るような表現、先の大戦についてあまりにも無神経なフレーズ、「国の為に」命を賭けることを煽っているようにもとれる、軍歌的な部分がある

 

RADWIMPS新曲に見る「無邪気な愛国ファンタジー」の果てにあるもの | ハーバービジネスオンライン

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作詞者本人はツイッターで一応の謝罪 (不快に思ったならすんませんって、とりあえず頭下げとけという態度が透けて効果的でない謝り方だよ……) してみたり、一方でライブで「自分の生まれた国を好きで何が悪い」と叫んだりしており、あまり批判を深く理解していないようである

昔すごく好きなバンドだったのに残念だ (人生で初めて自分用に買ったCDは、「無人島に持って行き忘れた一枚」だったり)

好きなだけなら問題にはならない、その表現の方法が悪かったのだ

 

では、本当に右翼でも左翼でもない人 が、どうしても日本を誇りたいとき、どういう歌を作ればほとんどの人を傷つけることがないか、ここでは考えてみたい 

 

 

 

  • 漠然と歴史を誇るのをやめる

日本に限らずどの国にも、胸を張ることのできない歴史がある

特に日本は国として、第二次世界大戦において自国民にも他国民にも甚大な被害を与えたし、それによって人生を振り回された人間だってまだ生きている (他の国だって戦争で人を傷つけているが、それはまた別の話)

それにもかかわらず「受け継がれし歴史を手に」なんて言えば、戦争やその他国の失策(公害とか)によって人生を損なわれた人や、それを身近に見てきた人は、歴史の負の部分を理解していないかのような姿勢に反感を抱くだろう

 

国の歴史全てを恥ずべきではないが、同時にすべてを誇る必要もない

また部分的に誇らないからといって、それは反日ではないし、むしろ盲目的に国家を肯定するより、真に日本のことを考え、愛していると言っても良いくらいだ

 

→ではどうするか

歴史について言及しない、もしくは具体的に胸を張れる歴史について歌えばよい

震災からの復興とか、火縄銃量産に成功したこととか、茶の湯の成立とか、WBCで優勝したとか、関ヶ原の戦いとか、マグロの養殖成功だとかを歌えば、ほとんどの人が傷つくことはないだろう

レキシの曲、日本の歴史を歌っても炎上することないじゃない

 

あるいは、歌として説教臭くなる危険性はあるが 、平和を望んでいること、争いを忌避することを明言しておいてもよい

曖昧さを残したことによって想像力が掻き立てられるのは創作物の良いところだが、問題になりそうな部分は解釈の幅を潰しておくのも力量の内ではないか

 

 

 

 

  • 漠然と血について言及しない

曲名や文脈から「高鳴る血潮」や「この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊」は「日本人」の血統を誇っているように読める

 

先祖から受け継がれた血統というものは実在するし、自らの先祖を誇りに思うのは結構だ

しかし、それに「日本」という国のラベルを与えるのは恣意的な操作である

この「日本」というラベルがあること、あるいはないことによって、苦しい思いをしてきた人々がいることにも思いを巡らせるべきだ

 

「日本人」ではないことを理由に虐められたり差別されたりした人、無理矢理「日本人」にされた人、過去に生まれる前に日本人というラベルを与えられ、それに誇りさえ持っていたのに日本の敗戦によっていきなり剥がされてしまった人、「日本人」だからといって戦争に駆り立てられた人……

事実として、日本から国籍を与えられた日本人は存在するし、それ自体は恥じることではない

しかし「日本人」であることを強調するのであれば、「日本人」であることを国家によって悪用されてきた歴史や、「日本人でないこと」を理由とした差別を知る人から、警戒心を抱かれるのは当然だ

 

→ではどうするか

これも言及しない、あるいは様々なルーツを認めた上で日本に縁のある人々のことを述べる (おじいさんのおじいさんは海を越え おばあさんのおばあさんは山を越え 僕らは今同じ国にいる 人はみなキセキと呼ぶ とか?rad風……)

歌詞には、国籍による疎外を思い起こさせない工夫が欲しかった

 

 

 

 

  • 自己犠牲について言及しない

「たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ」なんて、「日本」の誇りや旗のイメージを暗示したり明示したりした後に言われたら、特攻隊をはじめとする国家による自己犠牲の強制を思い出す人も多いだろう

繰り返しになるけど、それによって苦しんだ人、苦しんでいる人、それを見て来た人、日本にも海外にもまだたくさんいるんだからね?

 

→ではどうするか

「頑張ろう」という決意を表明したいのなら、その根拠を国家への誇りじゃなくて、自分の努力だとか、周囲にいる支えてくれる人、代表に選ばれただけの自分の実力に求めればよいし、その際別に身を滅ぼさなくてもよい

自己犠牲を強いる空気や圧力は良くないって日大アメフト問題で散々言ってたでしょ……

どうしても献身を語りたいなならせめて、「たとえこの身が散り滅ぶとて 我はいざ 咲き誇らん」など自分だけの問題とするべきで、「咲き誇れ」という他者への命令形にすべきではなかった

 

 

 

 

  • そもそも生まれた土地への愛を示すのに、国への愛の歌は必要なのか?

一説に囁かれれいるスポーツの応援を意図したものだったのであれば、本当にスポーツのことだけ歌えば良かった

このときに「日本ガンバレ」「日の丸ユニフォームガンバレ」と言ってもさほど問題にはならなかっただろう

 

それに生まれた土地への愛着を伝えるのに、国家への愛を歌わなくても良い

文化と国家、土地と国家、住民と国家は一対一の関係ではない

自分のアイデンティティを誇るのに、わざわざ間違うこともある国家と一体にならなくてもよい

 

打首獄門同好会の「日本の米は世界一」という歌は、ひたすらコメが旨いと騒いでいる歌だが、この歌に世界一というフレーズが出るからと言って日本国家からの弾圧の歴史を思い起こす人は少数だろう

しかしこの歌から日本を好きだと思う気持ちを汲み取る事はできる

 

また、日本古謡の「さくら」や、「朧月夜」「冬景色」といった唱歌も、ほとんど目の前の景色を述べているだけの歌詞であるが、日本語の美しさや風景の美、これらを読み解く日本文化の感性など、日本文化への愛を表している歌といって良い

さくら はともかく後者の唱歌たちは、そもそも日本を讃える気持ちを根付かせる意図で文部省が作ったものが現在まで残っているのだ

(ちなみに戦前、文部省はもっと国家や天皇を直接讃える歌も作ったが、ほとんどが忘れられてしまったらしい)

その意図が良いものかと言う問題はここでは置いておくとしても、押し付けがましくなく感じられることなく、人を傷つけることもなく、生まれた土地や文化への愛を表明することは可能だ

 

 

 

 

Radwimpsは元々「君を永遠に愛してる」とか直接的な言い方をしなくても好きの気持ちを表現できるバンドだったのだから (私はそこが好きだった)、冷静になれば日本に対しても物議を醸さず、純粋に良い曲として受け入れられるものを創り出せるだろう

一々うるさいことを外野が騒いでいると感じるファンも多いかもしれない

しかし、母国を好きだと言ってはダメだと言われているわけではないことを知ってほしいし、反発して閉じこもるのではなく、人々に悲しい思いや未来への余計な心配をさせることなく好きだと言う別の方法を考え、前に進んで行って欲しいと願う