発達障害は社会のシステムの変革だけで問題が小さくなると思うー当事者のグチー

私は不注意優勢型のADHDである。自分の症状についてざっくり説明すると、知能に問題はないが、どこか抜けている人である。子供の頃から集中力がないと何回も注意され、忘れ物が多い、物をすぐなくす、スポーツやゲームがなかなかうまくならない、などなどまあいろいろやらかした。でも、勉強はよくできたし、教室で走り回るみたいなわかりやすい多動はない。しかし、だらしのない人間であるとして、色々叱られたり、内申点下げられたりもした。

 


最近精神的に参ることがあって、精神科にかかったとき、ついでに気にかかってたADHD傾向について話すと、「抑鬱の根本的な原因となりうるので、まずADHDを治療しよう」ということになった。検査をし、診断が下り、ストラテラという薬が処方された。

で、このストラテラなんだが、自分にとっては副作用がキツく、かつ効いている実感がない。飲むと、吐き気がして、起き上がっているのがつらく、食欲も落ちる。曰く、この薬は効くようになるまで日にちがかかるとのことだったが、だいたい薬を毎日飲むなどといった習慣をつけるのが苦手な障害を治すために薬を飲み始めたのに、毎日薬を飲み続けないと毎日薬がのめるようにならないなんて()。

とにかく服薬はつらく、そのうちなんで私はこんな目に逢わなきゃいけないのかと、腹が立ってきた。だいたい、私はIQだけでいえば平均より上なんだぞ、例えばなんでもっと私よりも言語能力が低くても平気で生きている人間たちに、注意力が散漫であるだけで、だらしのないできないヤツ扱いをされなければならないのだ。

 


で、最近以下の記事を読んだ。

「なぜ日本は「発達障害大国」なのか 国別統計で常にトップレベルの理由」

産経ビズ リンク なぜ日本は「発達障害大国」なのか 国別統計で常にトップレベルの理由 (1/6ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)

 


要は、日本における「ちゃんとしている」のハードルが高すぎて、少し他人よりできないことがあると、大問題とされてしまい、例え軽度な発達障害であっても診断と治療の必要性が

生じてしまうということだ。これを読んでやはりか、と思った。

他の外国と比べてどうかは知らないが、現在の日本は、例えば私のようなうっかりした人間にはしんどい、でも本来ならもっと楽にできそうなシステムが多い。例えば、沢山の書類の中に、住所やら名前やら何度も何度も書いたり、履歴書を手書きで求められたり、郵送でないと受け付けられなかったり、ハンコが必要だったり……

そういうのはもっと、マイナンバー使うなりパソコンのポチポチですぐ済むようにするなり、電子署名や手書きサインokにすれば、不注意人間でも間違えたり忘れたりする可能性が低くなる。今のように、なんらかの承認が必要だと分かった時、ハンコがいるとか、保護者のサインだとか、保険証のコピーだとか、今すぐに用意できないものがあると、注意障害の人間はどこかで間違えたり忘れたりしてしまう。事務手続きなどが、数回ボタンを押すだけとかで済むようになれば、頼まれたらすぐにやってしまえるはずだ。

例え叱られなくたって、間違えたり忘れたりすれば、うっかり人間と言えども凹むし、その事が抑鬱の一因にもなりうる。こういったシステムの見直しをするだけでも、発達障害者だけでなく、定型発達者にとっても生きやすくなるだろう。


また、ミスを犯す確率の少ない人間を作ろうとして、短時間で大量の計算をこなさせたり、毎日忘れずにドリルの宿題をやらせてチェックするみたいな教育を行なったり、そうした人材を企業が求めるのも、弊害の方が多いように思う。

だいたい、ミスは誰だってしうるのだ。フェイルセーフ(wiki フェイルセーフ - Wikipedia) のように、ミスが起こっても大事にならないようなシステムづくりをする事がまずは大切だと思う。そうすれば、みんな多少のミスにもおおらかになれるはずだ。

それに、チェック要員の人数を増やす方が、ミスを防ぐには効率的だ。例えば95パーセントの確率でミスを犯さない人間一人がチェックするより、80パーセントの確率でミスを犯さない人間が二人でチェックをした方が、1パーセント、ミスの確率が減るのだ。雇用も増えるし。たぶん。

 

 

文章の練習がブログの主目的なくせにとっちらかってしまったが……

とにかく、まず、いつも締め切りとか破ってごめんなさい。でも、もっと生活のために必要なタスクが楽になれば、迷惑をかけることは減るだろうし、お互い楽になると思う。それだけでいくらかの「発達障害者」は、治療の必要がなくなるとも思う。国家医療費も減るよ。偉い人、申し込みだのなんだのシステムを作る人、よろしくお願いします。